1月8日 宮城県志津川 瓦礫の撤去・分別作業。

 2012年1月8日(日) 一般参加者19名+リーダー(金子・高橋・新井・粟田・小野里)

 年が改まりまして、意気込みも新たに、新春第1回目の支援活動を行ってきました。
2週間ぶりの南三陸町にて瓦礫の撤去および分別作業です。

朝のうちはキンと音がしそうなくらい冷たい空気が冴え渡り、それでもよく晴れていたので、陽射しの暖かさに助けられましたが、やはり正午をまたぐ辺りから風が吹き始め、それに伴い日も翳ると体感温度がぐっと下がったように感じられました。

現場にはありとあらゆる物が埋まっていましたが、重機によって踏み固められたうえに凍てついた地面はめっぽう硬く、掘り起こすのは容易な作業ではありませんでした。地上に覗いているほんの小さな破片を掘り進めていくうちに、その正体がとんでもない大きさのコンクリや鉄屑だと判明するような事例も度々ありました。

かなり広大な現場で、我々の他にもう一団体、それから個人登録の方々も入り、掛け合う声にもいろいろな方言が聞かれました。作業中、隣り合う方々とお話しする機会も多く、広島のご出身で、9月から南三陸町で活動しているという方に、長期間たいへんですねとお声掛けしたら、「でも、他では絶対に経験できないような何物にも代え難い出逢いがここにはありますから」というご返答でした。まったくその通りだと思いました。
今回、桐生から参加したのは17歳~64歳までの24名。また、VCでは、はるばるアメリカはハーバード大学からのボランティア御一行様もお見掛けしました。
出身地や年齢や人種が異なっても、「東北の復興ために」という共通の思いで寄り集った仲間たちと作業する時間というのは、本当に、他では味わえない特別なもので、作業後に感じるある種の充足感は、酷暑や極寒の辛苦を遙かに上回って、「また来よう」という気持ちにさせてくれます。
そんな仲間たちと瓦礫を拾い集めて数時間、終了後に見渡してみると、あれほど広大な土地もだいぶ見栄えがするようになっていました。

現地のリーダーの方が、こんなお話をしてくださいました。
今回の現場からやや目線を上げたところに老人ホーム、さらにもう少し上げると高校の校舎があり、前者は津波の害を被ってしまっていましたが、震災の日、老人ホームが危ないというので、高校生たちがホームまで駆け降りて行って入所者の方々を順々に運び出し、波が来るまでに、約70人いらっしゃったご老人のうち20人あまりを避難させることができたのだそうです。そんな立派な高校生たちの胸中はしかし、「20人を助けられた」ではなく「20人しか助けられなかった」…もっと早く気付いて行動していれば、もっとたくさんの命を救えたのではないか…という遺恨の思いだったのだそうです。
われわれが作業した現場というのは、その高校生たちの通学路脇でした。瓦礫は徐々に減ってきているとはいえ、いまだ津波による被害の爪跡が深々と残ったままの光景の中を毎日通学している生徒さんたちのためにも、ひとつでも多くの瓦礫を拾って、一日でも早く日常を取り戻してもらおうと、参加者一同気概を新たにしました。

作業後、ボランティアセンターへ戻ると、体育館では成人式が執り行われていました。成人式を迎えるということが当たり前ではなくなってしまった過酷な状況下で行われた式典があることを、被災地以外の新成人の方々にも是非知っていただきたいと思いました。

長くなりましたが、最後に、参加者のみなさん、今回も寒い中本当にお疲れさまでした!みなさんのお蔭で新年の好いスタートを切ることができ、心より感謝しております。


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